1日で治すという考え方を捨てる

この病気には特効薬はない。

人生のライフスタイルや、日々の過ごし方や食事などあらゆるものを取り入れていかなければならない。

それに俺は科学的根拠のないものを鼻から信じない思考のクセがある。

あらゆる可能性のあるものを長期スパンで実験していくことが大事だろう。

 

今日から今月末まで続ける、具体的対策

食事
・炭水化物の摂取を控える
・野菜、果物、魚の摂取量を増やす。
・食事から加工食品、小麦粉などに含まれるグルテンを排除 
サプリメント
・5000円分購入する
運動
・一週間のうち4~6日、最低30分は運動

脳トレ

・1日20分週6日続ける
断食
・夕食を食べてから翌日の朝食までの間、12時間何も食べない。
・就寝3時間前からも何も食べない。
ストレス対策
・ストレスを減らすためヨガ開始
・仕事のストレスを減らすために、1日のうち2回、20分間瞑想

・呼吸を吐くことを意識的に行う
睡眠
・睡眠時間が1日 4~5時間であったものを7~8時間に増やす。
衛生管理
・歯の衛生を保つために、歯医者にいって歯を全部治すのと、

歯を毎日磨く

・毎日風呂に入る。

 

とりあえずこれをテンプレとして、自分流に改良していく。

完璧主義的に全部行う必要はないと思うし、行う量はバランスをもって対応していけばいい。

統合失調症の認知機能の回復のためリコード法の実践

とりあえずできることからやり始めようと思う。

alzhacker.com

このサイトが基本ベースになる。

できたことと回復していけたことを記録していく。

リコード法は恐らく認知機能の自力での回復にこの世で一番優れている。

今日から半年以内になんらかの効果を出したいと思う。

リコード法のメリットは数値化できるところ。

サプリや運動、食生活の改善によって得られるメリットを数値化できる点。

それに加え、全てに科学的証明ができる点だ。

その数値は他人と共有しやすいし、自分自身も過去の自分と共有しやすい。

あと治療に伴ってやることが明確だ。

今の薬理学にだけ今の自分の状況の改善を頼るのは自分自身も不安だし。

何をしていけばいいのかがイマイチわからなかった。

しかしリコード法は俺にやることを与えてくれる。

明日からやるべき習慣を与えてくれる。

今日はとりあえず、ルモシティという脳トレを20分行った。

そして脳トレは週6日行う。1日休んでいい。

 

どういった人間に対して書かれているか

このブログは断言口調であえて書かれているが、それがどんな人間に対して書かれているかが欠落していた。

例えばだが、原因不明の高熱が出てどんな医者にかかっても治らなかったとする、しかもそれが1年続き、高額な医療費を請求され、家族にも見捨てられ、しまいにはフラフラになって階段から落ちて、骨折してしまい入院するハメになった人がいたとする。

その人は普通の生活を送りたいと誰よりも願っていたが、その高熱も3年続き、結局難病指定され障害者と認定されることになったとする。

そういった人が渋々受けた生活保護に納得できるとは思えないだろうと思い、生活保護は堂々と受ければいいと書いた。

他の例を出そう、10年間親に暴力をふるわれ、挙句のはてに捨てられホームレスになった子供。

あるいわ、3人の子供がいたが、旦那が薬物中毒になり、殺されそうになり、逃げることになったが、逃げる先の親戚が誰も助けてくれなった、母子家庭の奥さん。

あるいわ、ひどい交通事故にあい、内臓と骨がやられ、機械まみれの状態で障害者となり、それでもなお一人で生きていかなければない人。

誰でも堂々と生活保護を受ければいいと書いたわけではない。

恐らく完全に社会をなめ切った人間も受け入れられる考えなのかもしれないが、今並べたような苦境にある一人で生きていかなければならない人にも人権を与える内容になっている。

それが反対の意見を呼ぶ要因なのかもしれない。

 

感謝の気持ちを持てという人格否定

最近知り合った友人に今までの人生の経験を聴いた。

彼は結婚していたが離婚して4人の子供を育てているとき、

「こんなに辛い状況にしたのは誰だ」と、元嫁に深い復讐心をもっていた。

その復讐心は元嫁にだけでなく社会にも向かって、

こんな社会滅べばいいと、無差別に全員を殺して、自分も死にたいと思ったという。

彼は心療内科には行ってないが、もしそれを医者に素直に話したなら、何等かの病名をつけられて精神病院にいれられていただろう。

しかし幸いなことに彼は友人に恵まれ、自分の苦しみをわかってくれる人たちや手助けしてくれる人が現れて、徐々にいろんなことに感謝するようになった。

苦悩の渦中にいる人に他人に感謝しろというアドバイスも間違っているのがこのことからわかる。

感謝するのはいいことかもしれないが、もし良いアドバイスが存在するなら、「感謝したほうが幸せだよ、できるように手助けするよ」というのが正解だろう。

ただ単に「感謝しろよ」というのは自分のほうが人格者であると思い込むための他者否定に違いない。

このように他人に感謝できないほど精神が狂った状態が人間は存在する。

それを救うアドバイスは「感謝しろ」は最適ではない。

本当にその人を思うときそどういったアドバイスが最適かは、細かく人その心を分析しないといけない。

働けない人に働けというアドバイスは間違っている

世の中には働けない人種が存在すると思っている。

いわゆる社会不適合者といって社会では軽蔑されるが、

それを悪いことだとはどうしても思えない。

社会不適合者が成功する例は芸術方面に多い。

太宰治やカートコバーンがその一例だ。

でもその社会不適合者が成功しない例もいっぱいある。

かといってその人たちに人権が存在しないのか言えばそうではないと思う。

俺はパソコンが得意だから、作業所の理事長の手伝いを休み休みしているが、

もし立ち仕事だったら到底できない。

座って頭を使いすぎる仕事もできない。

今たまたま運よく仕事に恵まれてはいるけど、

それがなかったら社会的に何もしてないことになる。

例えばこれが一生自分に合った仕事に恵まれないパターンだってある。

そういう合った仕事がなかなか見つからない社会不適合者というレッテルが張られている人たちが人権がないかのように扱われるのが本当にわからない。

なぜアドバイスする人はただただ働けというのだろうか?

普通本当に心配しているなら、その人の長所を探してあげて手伝ってあげるのが本当のアドバイスだと思う。子を思う親ならそういうアドバイスをするだろう。

でも他人がアドバイスをするときはただただ働くのが正義だから働けっていう人が多い。

それは傲慢な価値観の押し付けにすぎない。

自分の良心が痛むことは他人にも押し付ける傾向が人にはある。

働かなければ悪であるという一種の強迫観念が、「それをしなきゃ!」って思っている人たちは働かない人を責める。

嫌ならしなければいいのにと思う。

恐らく責める人はそれが強迫観念であるということに気づいてない。

俺はどんなけ働いていても働かない人を責めることはない。

なぜなら働けない苦痛を誰よりも知っているからだ。

もし一生働かないって決意をしている人がいれば尊敬さえする。

宝くじで億万長者になればそういう人も多いんじゃないだろうか?

特に働かねばならぬと強迫観念で金のためだけに働いてる人はそうするだろう。

逆に働くことが生きがいになる人、合った仕事に恵まれた人は宝くじが当たっても働くんだろう。

働けない人は「自分は一生働かない!」

それくらいの開き直りがある人のほうが、強迫観念に苛まれて働いて過労で倒れる人よりよっぽど利口だ。

よくわかってる。

 

本当の苦労を知らない人は他人に厳しい

統失なのに統失をバカにする人達。

ある意味滑稽だが今目の当たりにしてしまった。

ある一人のコメントでは親の介護の上で成り立っている生活なのに、介護の無い弱者をバカにしてくる。

心の無い人にしか思えない。

精神病院に入るかねも無い人が生活保護をもらってそこに甘えることは間違っているのだろうか?

普通どこまでも追い詰められた人は甘えるのが普通なんじゃないだろうか?

車にはねられた任意保険に入っていなかった貧乏人には何も感じないのだろうか?

その傲慢な心がある意味温室育ちすぎる甘えだと俺は考える。

何も現実を理解していない。

本当の苦悩を理解していない。