地獄の哲学

無謀な挑戦

感謝の気持ちを持てという人格否定

最近知り合った友人に今までの人生の経験を聴いた。

彼は結婚していたが離婚して4人の子供を育てているとき、

「こんなに辛い状況にしたのは誰だ」と、元嫁に深い復讐心をもっていた。

その復讐心は元嫁にだけでなく社会にも向かって、

こんな社会滅べばいいと、無差別に全員を殺して、自分も死にたいと思ったという。

彼は心療内科には行ってないが、もしそれを医者に素直に話したなら、何等かの病名をつけられて精神病院にいれられていただろう。

しかし幸いなことに彼は友人に恵まれ、自分の苦しみをわかってくれる人たちや手助けしてくれる人が現れて、徐々にいろんなことに感謝するようになった。

苦悩の渦中にいる人に他人に感謝しろというアドバイスも間違っているのがこのことからわかる。

感謝するのはいいことかもしれないが、もし良いアドバイスが存在するなら、「感謝したほうが幸せだよ、できるように手助けするよ」というのが正解だろう。

ただ単に「感謝しろよ」というのは自分のほうが人格者であると思い込むための他者否定に違いない。

このように他人に感謝できないほど精神が狂った状態が人間は存在する。

それを救うアドバイスは「感謝しろ」は最適ではない。

本当にその人を思うときそどういったアドバイスが最適かは、細かく人その心を分析しないといけない。