時には犯罪者になるのが人間
人間はコロコロ価値観が変わる。
ある時には犯罪者になり、ある時には道徳人になるのが人間だ。
その意識はコロコロ変わる、それはまるで壊れた歯車のように。
殺意さえ湧く時もあれば仏のように優しい時もある。
それが人間だ。
しかし常識は人格の固定化を望む。
本当はこうでなければならぬという法律やルールや常識による抑圧が、実はあらゆる犯罪を引き起こしている。
こうでなければという抑圧からの解放が犯罪だと言ってもいい。
人間があらゆるルールから脱出する術が犯罪なのだ。
だから時にはその抑圧からの解放は、ロックミュージックなどの芸術の分野で尊重される。
乱暴は時に正義となり美徳となることを歴代のロックミュージックは許している。
発散であり解放的活動、そして本当の人間に戻るのがロックミュージックだ。
でも俺は犯罪を好きなわけではない。
なぜなら犯罪がこの世を支配すれば、自分が迷惑をこうむるからだ。
それに自分が犯罪をすれば独房にいれられてしまう。
ロックをライブで聴きたくないのは、モッシュ中に怪我をしたくないからだ。
自分は痛みを受けたくないという保守的で卑しい考えだけが、犯罪を否定する理由だ。
本当はマキシマムザホルモンのように半狂乱になり暴れる思考を望んでいる。
美しい理性と激しい狂気が人間の中には共存している。